Commitmetns転職navi

厳選の求人情報で専任のキャリアコンサルタントが転職活動を強力支援!

転職支援のcommitments
Commitmetns転職naviHomeへ

お問い合わせ会社紹介採用情報地図サイトマップ個人情報保護方針

コミットメンツのキャリアコンサルティング そこが知りたい!転職活動 現場の声を聞く 求人情報検索

現場の声を聞く

最新インタビュー記事
バックナンバー
バックナンバー

経歴

大阪大学工学部入学後、京都大学経済学部へ

1996年 アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)入社

1999年 ネットエイジ入社

2000年 アルトビジョン設立 代表取締役社長 就任

ページトップへ

大学時代〜アンダーセンコンサルティング時代

「やりたいことが見つからない・・・」

大阪大学工学部を休学→京都大学経済学部に入学
高校卒業後大阪大学工学部に入学したものの、3年の時自分がこのまま卒業して就職する姿をイメージできなくて、 「考える時間が欲しい」と思い、まずは大学を辞めようと決めました。
「あと4年間大学生という立場を得てリセットしよう、もらった時間で何をするか考えよう」と、校風が自由だと聞いていた京都大学経済学部に入学し直したんです。

1996年 アンダーセンコンサルティングに入社
京大に進んだ後就職活動を始めたものの、「この仕事を一生やりたい!」と思える仕事が見つかりませんでした。
ただ、「ビジネスそのもの」には興味があったので、色々な会社に首を突っ込めて中を覗ける仕事が良いと思っていました。
「投資銀行か?コンサルティング会社か?」と考えていた時、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)を知ったんです。
『システムとビジネスのコラボレーションって面白そう!』って思い入社しました。

システム開発を経て「戦略グループ」に異動
最初は電機メーカーのサプライチェーンプロジェクトで、いわゆるERPパッケージ導入でした。次の建設機械メーカーのプロジェクトにアサインされたとき、同じチームでグローバルなサプライチェーンを再構築する戦略グループのメンバーに出会い、戦略グループに魅力を感じすぐに異動希望を出したら承認されてその後は戦略グループで仕事をしていました。

ページトップへ

ビットバレーでの新しい出会い

「4日で転職決めちゃいました」

大企業を組織、人含めて方向を変えていく仕事がコンサルタントの使命だと僕は捉えているのですが、その仕事にはとても愛着がありました。
最初に入社する場としては、プレゼンテーション能力がついて論理的思考の勉強にもなって色々学べていい経験になりましたよ。
一方、自分でビジネスをやりたくなってきたんです。
ゼロから会社を立ち上げると言う事は、第三者的に会社に首を突っ込むこととは全く違うことですからね。
お金も知恵も人脈もなかったですけど「自分でビジネスをしたい」という強い思いだけはありました。
でも「いったい何がやりたいんだ?何をやろう?」と考えた時、「既存のビジネスには太刀打ちできないから、新しいビジネスでチャレンジしよう。」と漠然と考えました。

当時インターネットが注目されていて、軍事的な分野から学術的分野までには広がっていましたが、はたしてビジネスとしてどこまで使えるかは僕自身も懐疑的でした。
どこからお金が入ってどう儲けるのか、ビジネスモデル自体がイメージできなかったというか。
そんな状況で自分自身がインターネットの会社をすぐ作ることは大変なので、「じゃあ、そういうことをやっている会社に転職しよう」と思うようになりました。
そんなとき(99年3月ごろ)、ネットエイジ(インターネットベンチャー企業)で取締役を務めていたアンダーセンの後輩から、30-40人の渋谷インターネット系飲み会(後のビットバレー)に誘われたんです。
その集まりには、公認会計士、デザイナーなど今まで自分が接してこなかった人が参加していました。
「自分が知らない世界にも優秀な人が沢山いる、今自分がいる世界の外に広がっている世界に飛び込みたい!」と一瞬にして思っちゃいましたね。
これが金曜日のことです。
そしてすぐ翌日(つまり土曜日)その後輩にビジネスモデルの話を詳しく聞いたんです。
彼らの仕事、つまりインターネットビジネスを立ち上げる仕事(=インキュベーター)に強く惹かれました。
その翌日(日曜日)社長と話をして、働かせて欲しいと思いました。そして社長からも来て欲しいとのオファーをいただいたんです。そして、新しく行く会社の人たちにも直接会ってその「熱さ」に大感激しました。
もう即決です。
月曜日にはアンダーセンに「退職願」出してましたね。

ちなみに・・・生きていければ良いので年俸は、360万円で転職しました。 正直、かなり下がりましたよ。

ページトップへ

年俸がかなり下がる転職を決意した理由とは?

「選択で悩むのではなく、選択した道をどう生きるかってこと」

2つの世界が全く違ったので(年収も含め)比較する事自体が出来ませんでした。
可能性もその時点では計れないし、むしろその可能性を自分で作っていくのだろうと思ってました。
よく『僕は右の道と左の道どっちに行った方が(僕にとって)良いと思いますか?』みたいな質問をする人がいますけど、なんでみんな「どちらに行くか」ということにばかり気をとられるてしまうんでしょうね。
そこに意味がないとは言いませんが・・・
でも、実は『どちらに行くか』、ってこと以上に『選んだ道でどう生きるか』ということの方がよほど大事ですよね。
所詮人間は同時に二つの世界で生きることは出来ないわけで、たまたま僕の場合はどちらか選ばなければいけない時に過去の蓄積、過去からの継続にとらわれることなく、まさに「その時点の自分」がどちらに行きたいか、つまり単純にどっちの世界のほうが面白そうで可能性があり、より楽しくやっていけるだろうかと考えただけなんです。
別に深い分析をしたわけではありません。

ページトップへ

ネットエイジでのビジネス構築〜そして事業売却

「ビジネスを作る楽しさを実感しました」

ベンチャーはこんなもの
ベンチャーに行くと違和感持ちまくる人も多いみたいですけど、自分自身は「ベンチャーはこんなものかな」と思っていた雰囲気と余り変わりがなく、それがとても面白いと感じました。
社員5人、学生を含むアルバイト20人。
初日から徹夜(!)。
2日目には台所で毛布に包まって寝ていた自分を見て、紹介してくれた後輩が「昨日まで戦略グループで働いていた人とは思えませんね。」とびっくりしてました。
既にアンダーセンで、プロジェクトや上司、チームも頻繁に替わる環境にいましたから、環境の変化に対する順応性はもともとあったんでしょうね。
新しい会社のボスは「自分でこうしようと思ったら好きにやったらいいよ、いちいち聞かなくて良いよ。」と自分の判断に任せてくれ、物事をすごく早いスピードで進めることができ、刺激的で楽しかったですね。

自動車見積仲介サイト「ネットディーラーズ」
ネットディーラーズという自動車見積仲介サイトを3月に立ち上げて、既に4月にはソフトバンクへの売却が決まっていたんです。
ただ孫社長には「今年の11月までにある条件を満たせば買う。」と言われていました。
その条件は相当背伸びしなくては届かない目標でした。 そしてなんと僕が売却プロジェクトのリーダーになったんです。
決まればインターネット事業初の事業売却のケースなので、僕もスゴイ気合入りましたよ。
ちなみに、99年3月の時点では孫社長に提示された条件を1つも満たしていませんでした。
売却契約締結時点では数億円で売買する話になっていましたが、さすが孫さんは抜かりない方なので、僕たちが条件をクリアできない場合、各項目にペナルティーが設定されていて売却金額から引かれていく約束になってました。
クリアできていない条件だらけで、その時点では売却しても1円も入らないどころか、逆にこちらがお金を払って引き取ってもらわなくてはいけないというかなりスゴイ状況でした。
8ヶ月という短期間のうちに形を整えなければいけないし、買ってもらえないと会社が潰れてしまうという崖っぷちの中でのスタートでした。
時間に限りがあるので、「見積もり仲介ビジネス」を立ち上げていたら間に合わないんです。
要は「ネットディーラーズを売るビジネス」に注力しなくてはいけないわけで。
ということは、「事業としての価値をあげること」に徹して登録ディーラーの数を増やす事だと考えたわけです。
ディーラーにインターネットの説明をしてもなかなか分かってもらえないし、数が多すぎて絶対に間に合わないのが分かっていたので、主要メーカー10社の先を見据えているインターネットビジネス責任者に話をし始めました。
『10人と話せば済む話なのだから簡単ですよ』
なぜって、インターネットビジネスの責任者はどのメーカーも次世代のマーケティングを担う人が配属されていたので、インターネットの事には興味もあるし、また状況も知っているので話が早いんです。
『日本もこうなります、こうやって行きましょう!』とまずはメーカーと契約して傘下にあるディーラーを一括受注し、目標だった「数百件のディーラー登録」をクリアしました。
そんなこんなでネットディーラーズを99年11月に無事売却することができました。 しかも一銭も引かずに!
事業売却の過程でビジネスを作っていくという貴重な経験をしました。 ビジネスを作る楽しさ、そして難しさを知りました。

どうやってその10人に会ったか?
代表番号へ電話して「インターネットの担当の方とお話をしたい。」と伝えます。わざと難しいことを言うと受付の人が分らなくて「自分で判断してはまずいな」と思わせてつないでもらっちゃいました。 インターネットチームは2-3人で直接担当者が電話口に出てくるので一回会わせて欲しいとお願いしてみます。 ビジネスの話はもう一段階先なのでまずは情報を共有しましょう。アメリカの情報提供だけでも交換価値があると説明しました。 メーカー担当者はインターネットビジネスモデルがどう成り立っているかなどは知りたいものの、どう情報収集したらよいのかがわかっていない様子でしたね。
(編集者注: すげーフツーに語ってますけど、かなり凄いことですよね、これって。)

ページトップへ

V-Mail(ヴィ・メール)を引っさげアルトビジョン設立

「コンサルティングという価値を別の形でお金にしています」

サイトは待っているだけだし動線をしっかり作っておかないと訪れてもらえませんが、 メールは自分で働きかける事が出来て、継続・個別のコミュニケーションが可能なところが魅力的でした。
「メールのパワーはすごい、メールを糧にしたビジネスが面白そうだ」と思い始めていました。
当時メール中心の会社は他に存在しなかったので、まず最初はメディアを立ち上げて見ることにしました。
それがV-Mailです。
航空会社と組んでその航空会社の会員から興味のあることを聞き出し、例えば車に興味がある人に新車情報、住宅に興味ある人に新築マンション、ペットを飼っている人にペット用健康フードのお知らせなどと、広告媒体として売っていく仕組みを創り上げました。
だいだい自分の思ったとおりにコトが運んだので、V-Mailを組織化しようと思い立ちました。

「株式会社アルトビジョン」立上げ
アクセンチュアで仲の良く、しかも自分の弱いところを補ってくれる友人にV-Mailのビジネスプランを見せて「一緒にやろう!」と誘い、二人で新しい会社を始める事にしました。
そして2000年1月 V-mailを「株式会社アルトビジョン」として立ち上げたんです。
当時、「V-Mail事業100%でメール配信のシステムをちゃんと作りたい」と言う目標がありました。


「御社の3万件のリストは余裕で回せます」
メールを大量に配信するテストって結構難しいんですよ。 大量に知らない人に「テストメール」送るわけにいかないし。そこで、配信できるメールの数を30件、300件、3,000件、30,000件と少しづつ増やし、 10万件ぐらいまで一度に配信できる環境を整備しました。
当時大企業の持っているメールリストは大体3-5万件だったので、
「うちは10万件までのメールをまわすことが出来ますから、 御社のメールリストを預けて下さい。」
「あなたのところ大丈夫?」
「10万件のメールを毎日回している会社ですから、御社の3万件のリストは余裕で回せます。」と請け負っていました。
オペレーションも出来るしシステムも完備して、その上「こういうセグメントにはこういうメールを送りましょう、 Htmlを個別に送ったりもできます。」というコンサルティングもしていきました。

「効果のあるメール配信をしてくれるのでアルトビジョンに頼んでるんです。」
V-Mailを得意ツールにして企業のリストを預かってマーケティングを手伝う、というコンサルティングの仕事に近い事からはじめ、「誰に対してどういうメールを送ったら効果的です」という「コンサルティング」と「配信」をセットで売っていきました。
他の配信業者さんが「もっと安くやります」と言ってきても、「効果のあるメール配信をやってくれるのでアルトビジョンに頼んでるんですよ。」 と顧客が言ってくれているそうです。ありがたいですね。
V-mailによって、アルトビジョンが何億円貢献しているかが数字上一目瞭然なので、顧客はただの「配信一通いくら」というメール配信会社にはゼッタイに流れないんです。
V-Mail100%の売り上げから段々とシフトして、今はV-Mail5%ぐらいですね。 残りの95%は企業のリストを預かって担当者と一緒にメールマーケティングのお手伝いをしています。
大企業の大量のメールを(例えばIBM、NTTコミュニケーションズ、資生堂やマクドナルド)リストを預かって配信しています。

差別化のポイントはコンサルティングが出来ること
でも今でも売り上げは配信で上げています。
普通は得意なところを高く売って儲けるものなのかも知れませんが、『強み=稼ぎ頭』ではないと思っています。
コンサルティングでそんなに儲けていなくても、自分達にとってはお金がもらえて営業ができてこんな幸せなことはないですね。最初からメールの効果はどのくらいかとは示せないし、信用してもらう証拠も出せません。信用してもらった後「この人がやってくれるのであればいくらでいいや」と思うものでしょう。

コンサルティングビジネス
コンサルティングビジネスは10人という少人数では出来ないですね。 プロジェクトが終わりそうになったら次を立ち上げないといけないし、皆が暇にならないようにいかに人を上手く回せるかがあのビジネスの生命線ですから。
色々なプロジェクトが色々なところであるから上手く人を回せるのであって、人が少ないとあるプロジェクトが終わったときに困ってしまいますよね。 もっと人数が多くなったらインターネットマーケティングのコンサルティングはテーマとしてはありますし、単純に利益を生んでいくことも出来ると思ってます。 でも今は配信、制作というベタなところで稼いでいますし、それに満足しています。

ページトップへ

これからの夢、ヴィジョン

「原点回帰を目指してます」

面白そうなビジネスは沢山あるから、全く違う正反対のビジネスも色々やりたいですね。
ここ10年ぐらいで出来た市場でなくて、「そんなのいまさら?」みたいなビジネスをね。
例えば、紀元前からあるビジネス、飲食に注目しています。
アルトビジョンを作って5年。まだまだですけど10年後もきっと「まだまだ」と言っているんでしょう、きっと。
そうしたらそれで終わってしまうから「どんどん始めないと!」いう危機感があります。
そしてこの秋飲食店をオープンすることを決めました。
新しくアフターザレインという会社、そしてその子会社有限会社W(ダブリュー:飲食店の経営会社)も興しました。 
〇アルトビジョン=インターネットマーケティング
〇アフターザレイン=インターネットマーケティング以外、なんでもカンパニー
というすみ分けで進めていこうと思っています。
これでMECEじゃん(!)、って思ってます。
(「MECE(ミッシー)」とは"Mutually Exclusive Collectively Exhaustive"のことで、「それぞれが重複することなく、全体集合としてモレがない」という意味。)

「銀座で食べる店ないよね、じゃあ、作っちゃおう!」
・・・という一言から飲食店オープンの計画がスタートしました。

『ほっとするのはやっぱり和食だよね、でもしゃれた感じにしたいよね。ビールやワインも置いて、30坪位の隠れ家を作ろう。』
そんなわけで、60-70人収容の物件を探してみたものの、なかなか良いものがなかったのですが、最近トンデモナイ物件が見つかりました。

『銀座。一戸建ての元料亭。100坪。これをやらないか。』と言う話でした。
料亭と聞いて、
『ありえません。隠れ家どころかかくれんぼできる!そんな資金ありません。』

そう思ったものの物件を見て『色気のある物件でとにかくかっこいい!すごい料亭だったんだろうな。』と感動。そして即決。

5年間借り手がなく空いてたようです。
大成功して隣の敷地に移った「まつやま」という料亭の跡地でした。
「まつやま」の隣の料亭「朝川」の女将の娘さんが僕の友人で、彼女も手伝ってくれると言ってくれています。
大家さんは『朝川さんがやるなら貸してもいいけれど、それ以外の人に貸すつもりは全くない。儲けようと思っていないので店が使われてこの界隈が活性化すれば良い』とおっしゃってます。
格好良い話なんです。まさに粋!

店が出来るほどの資本がないので、ゴルフの会員権のように興味ある人達からお金を集めてオーナー制でやることにしています。
現在100人程集まっていますが、最終的には200人集めたいですね。
1口25万。4口買ってくださいというのは難しいですけど、3人紹介してもらうのは意外に出来るものです。
ただ、知らないところで違う話になっていたりしたら困りますし、構想はいつ変わるかわからないので、知り合いの知り合いまでに限定しています。
『契約書以外は任せてもらいたい、そう言う条件でいいか』と思える額に設定しました。

飲食店の方程式
飲食店はいっぱい出来ていっぱいつぶれて難しいのかもしれませんが、方程式は簡単です。

客席数x客単価x回転率

それ以上いじりようがないので、難しいがシンプルなビジネスと言えます。
食事は生きていくためにどんな人でも必要だし、文化、エンターテイメント、商談や愛を語らう場であり、B to Cコミュニケーションのリアルな対面の場であり、決してなくなることのないものだと思っています。

未知の業界
経営レベルだと、業界の違いで差が出るところは20%くらいで、どんなビジネスをやってもコアな部分は同じではないでしょうか。
他の仕事と80%くらいは同じ様な事が起こるだろうから、自分が過ごしてきた業界でのノウハウを使いまわせると思っています。
とはいえ店をやっている以上、あとの20%(和食のこと、ワインのこと)についてはこれから勉強しなくてはいけないんですけど。

応援してくれる人達
「『ベンチャーなんて大変だぞ。行くもんじゃない。』って言ってた人に限って、今僕が頑張ってやっている事を喜んで応援してくれていますよ。」

無茶は承知ですが、応援してくれる人もいるし、新しい人脈の広がりがなによりすばらしいです。
経営者、弁護士、ベンチャー企業経営者、外資系の会社の人、日本の会社のサラリーマンなど多様な人たちが仲間に加わってくれています。
自分としても確かに怖いなと思っているところはありますけど、飲食は事前に洗い出せるリスクが分りやすいんですよね。
ご飯が上手ければ汚くても流行ります。
綺麗な場所なのにまずい物を出していると客足は遠のきます。
ゼロからは確かに難しいかもしれないですけど、オーナー=利用してくれる人になるし、実は「やめとけ!」といっている人が経費で一番使ってくれそうなんです。

たくさんの会社を起こす理由 パートナーシップ制をとる理由
ひとつの会社の中に色々な事業を詰め込んで大きくしていって上場したとしても、株式を公開するということは人のものになるということですよね。
コントロールが効かなくなったり、株主を見て仕事をしなくてはいけなくなる恐れがあります。
後でつじつまを合わせるやり方ではなく、こつこつと色々な業界で色々やりたいというのが今の気分です。

一回法人を作ると会社が人格や意思を持って経営者とイコールではなくなり、それとどう付き合っていくかが肝心になってきます。
会社は皆が仕事をしやすい枠組みや組織でしかなく、できればあんまりそうした枠にこだわらず、会社は違っても個人と個人とのつながりを大事にしていきたいと思っています。
色々なビジネスをやりたいから色々な会社を作って、それぞれの株主や社員、ビジネスパートナーのポートフォリオをそれぞれ作ってそのビジネス間でシナジーを出せたらいいですね。

パートナーと二人でやっているとすごいスピードと強さを得られます。
一人だといっぱい失敗するかもしれないですけど、パートナーとの意見交換で「待ったほうがいいんじゃないの?」「やめたほうがいいな」と、パートナーがストッパーになってくれたりもします。
一人でやると半分のことも二人で倍以上になるんだから、二人でやらない理由はないと思いません?

ただこれからは全部二人で相談してやるのではなく、どちらが中心になるか決めて、報酬や責任をどちらかが中心に取るという仕組みにしたいと思っています。

最後のテーマは教育と農業
興味は色々ですが、最後のテーマは教育と農業にしたいと考えているんです。
店→ワイン→ワイナリー→農業と繋がってるわけです。

今回オーナーを沢山集める事で自分の人脈の棚卸しになりました。
アルトビジョンを作った時「名刺ってこんなに集まるものなんだ」と驚いたものだが、今はその時以上に人脈が広がる深まる速度が半端じゃないです。
きっと今回この飲食のプロジェクトを作ったところから、次のビジネスにつながる人のつながりが生まれて来る気がしています。

ページトップへ

最近読んで良かった本

「花摘む人 ヴィラデスト・ワイナリーができるまで」 玉村 豊男 著
こちらがかすむような大きな構想を持っていて、今回の出店の話に自信を持つことが出来た本。
還暦を目前に自前でワイナリーを作る決意をした著者。妻の猛反対、法律の壁、資金調達の問題。次々と立ちはだかるハードルを乗り越えて見えてきたものとは? 農園主としてのわが人生物語。『考える人』連載を単行本化。

ページトップへ

コミットメンツ転職Navi Homeコミットメンツのキャリアコンサルティングそこが知りたい!転職活動現場の声を聞く求人情報検索
お問い合わせ会社紹介採用情報地図サイトマップ個人情報保護方針

(c) commitments, Inc. All right reserved.